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人々の未来の暮らしを可視化する【リアルスケール社会シミュレーション】が、最良の政策を導き出す?

政府や地方自治体は、人々の生活を支えるために、社会の情勢を注視しながらさまざまな政策を打ち出しています。そこに役立つと期待されているのが、「リアルスケール社会シミュレーション」です。これは、人々の世帯構成や年齢、所得などの情報を用いた「人口合成データ」を作成し、政策や事業の効果をシミュレーションするもの。今回は、リアルスケール社会シミュレーションについて解説します。

ノーベル経済学賞の受賞者がサイコロとコインで始めた「社会シミュレーション」

私たちが暮らしている社会の仕組みや構造を、コンピューター上に再現し、分析、研究する「社会シミュレーション」。その試みが世界的に注目されたきっかけともいえるのが、ノーベル経済学賞の受賞者トーマス・シェリングが1971年に発表した「分居モデル」です。

この実験は、「特定の人種が一部の地域に集まって暮らしているのはなぜなのか」という疑問から始まりました。

例えば、人種や文化が混じり合うことなく共存していることから、「人種のサラダボウル」とも呼ばれるアメリカ社会には、日系人が作り出した「リトルトーキョー」や、華僑、華人によってできた「チャイナタウン」というように、「ある人種が密集している地区」が各所に存在します。

このように、特定の人種が集まって暮らして、住み分けが発生するのはなぜでしょうか。単に「古くからの友達や親せき同士が近所に住んだ」とも考えられますが、社会学の観点からみると、別の答えが現れてきます。

人種によって住む場所が異なる現象を解明した「分居モデル」

人種による「住み分け」が発生する理由を解明するために、トーマス・シェリングはチェス盤の上に二種類のコインを並べ、サイコロを振りながら、次のような条件でシミュレーションを始めました。

・それぞれのコインは、周りのマスに存在するコインのうち、自分と同じ種類のコインが「X%」以上でなければ別のマスに移動する
・すべてのコインが上記の条件を満たすまで繰り返す

すると、最初は二種類のコインが盤上にバラバラに配置されていたとしても、コインを動かしていると、次第に同じ種類のコイン同士が集まるようになったのです。

<Schelling’s model of residential segregation>

社会現象や人々の動向をシミュレーションで解明できるように

この研究でユニークなのは、X%の値を変えてみた結果でした。例えば、X%を「70%」に設定します。これは「自分と価値観の近い人が近所の7割を占めていないと引っ越す」という「他者に対する許容度が低い」条件でのシミュレーションになります。当然、二種類のコインは互いを避けあうように別れ、グループを作るように固まっていきました。

不思議なのは、X%を「30%」に設定した場合でも、同様の結果が表れたことです。つまり、「自分と異なる人が周囲に70%いたとしても気にしない」という「他者に対する許容度が高い」条件であるにもかかわらず、コインの住み分けが発生したわけです。

当時、社会をシミュレーションするといっても、どうすればいいかわからなかったのです。しかし、トーマス・シェリングの実験によって、このようなモデルをもとにすれば、社会現象や人々の動向をシミュレーションできることが判明したのです。

高性能なコンピューターを活用した社会シミュレーションが誕生

分居モデルが発表された後、人口の増減や経済活動を含めた人間社会そのものをシミュレーションする取り組みは、世界各国で行われてきました。しかし、それらの多くは、限られた条件のもとで行われるシンプルなシミュレーションであり、現代社会のように複雑な状況を再現できるものではありません。

ところが近年、高性能なコンピューターや人工知能(AI)、ビッグデータなどの条件がそろったことによって、「組織や個人を含めた社会全体をリアルに再現するシミュレーション」の誕生が現実味を帯びてきたのです。

国民のための政策をより効果的にする「リアルスケール社会シミュレーション」

日本では5年おきに全国民の情報を集め、総人口や男女別、世代別の人口、世帯数、職業などを確認する「国勢調査」を行っています。また、人口統計や公共施設などの場所を各自治体や政府がまとめて民間向けに公開した「オープンデータ」などのデータもあります。

それらをもとにして作るのが「人口合成データ」です。これは、個人情報までは含みませんが、現実に近い形で、それぞれの街の総人口や世帯、世代別や男女別の人口ピラミッド、職業や世帯収入などをデータ化したものです。

この「人口合成データ」を活用すれば、現実の都市に即したさまざまなシミュレーションを行うことができるのです。現実の市町村は、街ごとに人口も世帯数も、年齢層も違いますので、同じ施策でも現れる効果に違いがあります。

しかしリアルスケール社会シミュレーションを使えば、「私が住む市町村で、このような施策を実行すれば、どのような効果が現れるか」という、現実の街を想定したシミュレーションができるわけです。
このように、より良い社会づくりへの貢献を目指しているのが「リアルスケール社会シミュレーション」です。

政策がどのような効果を挙げるかをシミュレーションするには?

リアルスケール社会シミュレーションとはどのようなことを行うのでしょうか。

期待されているのが、何らかの政策を立案するときに行うシミュレーションです。例えば、ある地域の行政が「高齢者の生活を支援したい」と考えたとします。従来は、金銭を支給したり、公共施設の利用料金を下げたりという施策を打つ場合、どういった効果が表れるのかは専門家に依頼するなどして予測するのみでした。

しかしリアルスケール社会シミュレーションを用いて、該当地域に住む高齢者の割合や同居している家族の情報、近隣にある公共施設の数などを読み取れる人口合成データを活用すれば、施策によってどのような効果が現れるのかをシミュレーションすることが可能になります。

また、「どれだけ厚い支援をすればどの程度の効果が見込めるか」を、いくつかのパターンを作ってシミュレーションすれば、最適なレベルを見つけて市民サービスを提供できるようになります。

リアルスケール社会シミュレーションの具体例

リアルスケール社会シミュレーションはどのようなところで活用できるのでしょうか。いくつか紹介します。

AEDを配置する最適な位置をシミュレーション

たとえ若くて健康な人であっても、交通事故に巻き込まれたり、突然の体調不良によって心肺停止に陥るケースがあります。そんなときに役立つのが、医療知識のない人であっても機械からの指示に従うだけで、救命活動が可能になる自動体外式除細動器「AED」です。

AEDは一部のコンビニやドラッグストアなどに設置されていますが、都市の人口密度や施設の数などによって、AEDの適切な数、設置場所は変わってきます。そしてその最適な数や設置場所を検討する際に、リアルスケール社会シミュレーションが期待されています。

投票数を伸ばすための選挙方法をシミュレーション

現在、選挙の投票率は、決して高いとはいえません。それを向上させるための方策を考えるのにもリアルスケール社会シミュレーションが期待されています。

実際に、リアルスケール社会シミュレーションの研究者の中には、大阪府高槻市や北海道函館市を対象に、投票所を少なく、かつ投票率を高めるための「投票シミュレーション」を実施した人もいます。

市民が利用しやすい環境を作るというこの手法は、選挙に限らず、公共事業や、ビジネスなどでも活用されていくことでしょう。

災害発生後の復興作業にも貢献可能

地震や豪雨などの災害が発生する前、あるいは発生後であっても、リアルスケール社会シミュレーションは役立ちます。あらかじめ住人の情報をもとに被害を想定していれば、最適な避難経路や救助のための施策などを指定しておくことができます。

また、災害発生後には住人のデータから必要な生活必需品の数などを確認することも可能です。さらには、消費する電力の量などをシミュレーションすることで、夜間に備えた節電の指示などにも役立てられることでしょう。

リアルスケール社会シミュレーションは、これからの社会であるSociety 5.0のなかで役立つと期待されています。今後は、行政だけでなく、さまざまな分野とも協力していくことで、人々の安心安全な生活に貢献していくことでしょう。

「リアルスケール社会シミュレーション」を学べる大学の学部、学科

社会シミュレーションの研究は、主に情報学部などで行われています。

関西大学 総合情報学部の村田ゼミでは、経済学や心理学などの社会科学とともにプログラミングに対する知識を深めつつ、リアルスケール社会シミュレーションの研究を進めています。以下の動画によると、村田忠彦教授は、日本だけでなく、海外の人口合成データも活用することで、世界規模のリアルスケール社会シミュレーションの構築を目指しているとのことです。

<HPSC News vol.06 リアルスケール社会シミュレーション>

『リアルスケール社会シミュレーション』の活用が期待できる分野

都市計画、政策立案、マーケティング