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【承認欲求】誰もが持っている「自分を認めてもらいたい」という気持ち。SNS、バーチャル社会の新しいコミュニケーションでの心理を探る研究も

誰かに認めてほしい、褒められたい」という気持ち「承認欲求」は、誰もが持っているもの。SNSなどでよいふるまいを投稿したりして「いいね」をたくさんもらうとうれしい気持ちになります。しかし行き過ぎると炎上を起こすリスクも抱えています。SNSやメタバースなど新しいコミュニケーションが生まれる中、誰かに認めてもらいたい気持ちをどう捉えればよいのでしょうか。今回は、「承認欲求」について解説します。

誰かに認められたいという「承認欲求」は誰もが持っている気持ち

TwitterやFacebook、TikTok、InstagramなどのSNSで、あなたの書き込みに対して「いいね」がたくさん集まると「自分が誰かに認められた」ようなうれしい気持ちになるでしょう。知人、友人だけでなく、見知らぬ誰かからも「いいね」が1万、10万と集まってバズったりすれば、「自分は特別な存在なのかも」と、舞い上がった気持ちになってしまうこともあるかもしれません。

このような「自分を認めてもらいたい」という気持ちを「承認欲求」と呼びます。

心理学での承認欲求の扱い

このような承認欲求を心理学の視点で捉えるとどう見えるのでしょうか。そのひとつの例として20世紀に活躍した心理学者アブラハム・マズローが提唱した人格理論の中に、「欲求階層説(欲求ピラミッド)」とも呼ばれる「自己実現理論」があります。この理論の中でマズローは欲求を5段階に分類し、そのひとつに承認欲求を挙げています。

・自己実現理論
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96

生理的欲求

 最初に生まれるのは、生存に必要なものに対する欲求です。水や食べ物、衣類といったものは、人間が生きていくために欠かせません。

安全の欲求

 戦争や暴力、貧困の中では安全に暮らすことは困難なこと。そこで人間は、安心して暮らせる社会環境を求めます。

社会的欲求

 衣食住や安全な環境が得られると、次は集団の一員、仲間であることを求めるようになります。学校で例えれば、クラスに友達を作ったり、サークルや部活動に参加したりということです。社会的な集団の一員となれば、孤独が解消され、安心感も得られるでしょう。

承認欲求

 社会的な集団の中で「認められたい」「注目されたい」「一目置かれたい」「地位や名声がほしい」という気持ちを持つことが承認欲求です。学校で例えれば「クラスの人気者になりたい」といったところでしょうか。

自己実現の欲求

 上の4つの欲求を実現しても満ち足りずに、さらに上を目指す人もいます。それは自分が理想とするものになりたいという気持ちです。

承認欲求をRPGで考えてみる

ロールプレーイング・ゲームで例えてみましょう。

生理的欲求

勇者であるプレーヤーが最初に持てる装備は、最低限の武器や防具、薬草、食糧だけ。取りあえず、生存に必要なそれらをやりくりしながら、冒険の旅に出ます。

安全の欲求

プレーヤーは敵を倒しながら、徐々にスキルやステータスを上げていきます。また、資金や素材を得ることで強い武器、頑丈な防具、盾などが手に入り、安全性が高まっていきます。

社会的欲求

旅の途中では、魔法使いや僧侶、商人、賢者など、さまざまな仲間が集まります。ネット対応のユーザー参加型ゲームであれば、ゲームに参加しているプレーヤー同士でチームを作ることもあるでしょう。プレーヤーは仲間と協力し合って敵を倒していくことで、自らの役割や立場を獲得していきます。

承認欲求

ミッションやクエストで人々の悩みを解決したり、危険なモンスターを退治していくことで、周りのキャラクターたちはプレーヤーに感謝し、その存在を認めるようになっていくでしょう。

自己実現の欲求

さまざまなイベントやドラマを経て、プレーヤーは最終ゴールであるラスボスを倒すことに成功します。

このように見ていくとマズローの考えた承認欲求は、自己実現を目指す過程にあるものと捉えられます。

ちなみに承認欲求は、他人から認められたいという「他者承認」、自分自身の価値を自分で認識する「自己承認」に分類されます。これもロールプレーイング・ゲームで例えれば、ネットを使ったユーザー参加型ゲームで他のプレーヤーから認められることが他者承認、一人だけでコツコツとゲームを進めてラスボスを倒して満足感を得るのが自己承認と考えればいいでしょう。

突然バズるインターネットの世界

ところで最近は「承認欲求」をSNSと絡めて取り上げられることも少なくありません。そして、インターネットにおける承認欲求は、インターネットが普及する前の時代のマズローの考え方とは異なる面があります。

リアル社会の場合は、まず「仲間を作った」という前段階があったうえで、「仲間の中で認められる」という段階に進みます。見知らぬ誰かに認められるには、テレビや雑誌などのメディアに出演したり、本を出版したりするなどして、知ってもらう必要がありました。

ところが、誰もが自由に情報を発信できるSNSでは、投稿した1本の動画や写真、コメントがきっかけとなり、突然バズるということが起こります。親子、家族、友達、先輩後輩、部活やサークルの仲間などといった垣根を飛ばして(つまり、社会的欲求をすっ飛ばして)、まったく知らない人たち、本当に全世界に向けて情報を発信し、たくさんの「いいね」をもらって有名になるということが実際に起こっています。

もちろん、バズること自体に問題はありません。しかし、「いいね」の数を集めること、数の多さを競うことが目的となっているようなケースも見受けられます。バズらせようと躍起になって、過激な書き込み、一般の人の反感をあおるような書き込みなどを繰り返すようになっては本末転倒です。

炎上しやすいという負の側面も

行き過ぎた承認欲求から「炎上」を招くこともあります。炎上とは、不謹慎な行為や自分(や仲間内)の常識とネット上のコンセンサスが違っていたり、誤解やミスリードを誘うような表現をわざと投稿するといった行為により、短期間にたくさんの批判コメントを受けることを意味するネットスラング(ネットで使われる俗語)です。

典型的なのは、2010年代に相次いだ、悪ふざけをTwitterで公開した出来事でしょう。飲食店や小売店などでアルバイトしていた若者が、商品である食品に対して不衛生な行為をした写真を投稿した結果炎上して、個人情報なども明らかにされて大問題になりました。悪ふざけされた被害者である飲食店が閉店に追い込まれるような事態にも及びました。

このような愚かな行いも、承認欲求との関連が見られます。悪ふざけをSNSにアップするのは、「目立ちたい」「笑いを取りたい」「人気者になりたい」という気持ちから起こることでしょう。その前に、第三者に見られたらどのように思われるのかと考えが及んだら、踏みとどまれたかもしれません。しかし自制心よりも承認欲求が勝ってしまったからこそ、そのような行為に及んだのではないでしょうか。

「自分は善人だ」とアピールする「美徳のシグナリング」

承認欲求から派生した考え方のひとつとして、「美徳のシグナリング」という用語あります。これは、他人の目に触れる公共の場で道徳的なふるまいをしたり、社会貢献活動などに対して賛同の表明を見せてアピールしたりすることを指します。

・美徳シグナリング
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E5%BE%B3%E3%82%B7%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0

難病支援のためのパフォーマンスも美徳のシグナリング

2014年ごろ、インターネットで「アイス・バケツ・チャレンジ」という運動がはやりました。これは、慈善活動(このときは筋萎縮性側索硬化症(ALS)の研究支援)に賛同した人が頭上に掲げたバケツをひっくり返して、バケツに入っていた氷水を頭から浴びるというパフォーマンスで、最後に「次にパフォーマンスをする人」を指名するのです。

このアイス・バケツ・チャレンジは、スポーツ界や芸能界、ビジネス界、政界の著名人を中心に行われ、その様子がSNSやYouTubeなどに投稿されることで、世界中に広がりました。

アイス・バケツ・チャレンジは、多くのアクセスが期待できるSNSやYouTubeなどを使って、「活動を支持する」という意思を表明する有名人が、多くの人が見てみたいと思う自虐的なパフォーマンスを披露して注目されるという行為であり、まさに美徳シグナリングの典型といえます。

・アイス・バケツ・チャレンジ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%B1%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8

美徳のシグナリングは、偽善という非難が込められた言葉でもある

しかしこの美徳シグナリングという言葉は、今ではネガティブな意味合いで使われることも珍しくありません。「支援よりも、自分に注目してもらいたいだけなのではないか」、あるいは「いい人のようにふるまっているだけ」という批判です。ベタな言いかたをするなら「ええカッコシイの偽善者」という非難の声といったところでしょうか。

社会が変わりつつある時代、人と人とが認め合うという行為を改めて見つめ直す

ここまでで紹介してきた「他人に認められたい、褒められたい」という気持ちは、承認欲求の中でも「賞賛獲得欲求」に分類されるものです。一方、「誰かに嫌われたくない」という気持ちは「拒否回避欲求」に分類され、これも承認欲求のひとつと考えられています。嫌われたくないという気持ちが、「目立ちたくない」「余計なことをして変なヤツと思われたくない」という方向に行く場合もあります。

賞賛獲得欲求と拒否回避欲求は相反する面もありますが、誰もが心の内面に両方の気持ちを持っているはずです。

人間同士が出会うリアル社会、SNSやメタバースなどのインターネットの世界、さらに今後はVRやMRなどを駆使したバーチャルと現実世界が混じり合う社会へと向かっていく中で、コミュニケーションの形も変わっていくことでしょう。「人に認められる」「誰かを認める」「人と人とが認め合う」とはどういうことか、そこにおける人間の心理を研究する意義は大きいといえます。

「承認欲求」を学べる大学の学部、学科

承認欲求は心理学で扱うテーマとなりますが、「社会の中で生きる人間の心理」を考える学問になるので、社会心理学となります。人文学部や心理学部、心理学科、あるいは社会学部などで学べます。