人類はこれまでの歴史の中で、多くの生物を絶滅に追い込んできました。その中には食物連鎖の中で重要な役割を果たす動物も含まれており、自然環境にもさまざまな悪影響が生じています。とはいえ、そのような過去を反省し、「すべての生物をあるがままに放置する」ことが自然環境の保護につながるかというと、そういうわけでもありません。今回は、野生動物の分布、個体数、行動などを管理することで動物と人間の共存を目指す「野生動物管理学」を紹介します。
保全活動がもたらした壊滅的な自然破壊
グランドキャニオンの北に広がるカイバブ高原。この場所には古くから「ミュールジカ」というシカが生息していました。しかし1850年以降、入植した白人による家畜の放牧や狩りが始まったことで、ミュールジカの個体数は激減してしまいます。
これを危ぶんだ当時のアメリカ社会は、シカの保全活動に動きました。ハンターによる鹿狩りを禁止するだけでなく、シカを捕食するピューマやオオカミ、コヨーテといった肉食動物の狩猟を奨励したのです。
その結果、ミュールジカの個体数は、1905年の段階で4000頭だったにもかかわらず、1915年には2.5万頭、1925年には10万頭まで増加しました。しかしその後、増加から減少に転じ、1927年にはミュールジカの個体数は4万頭にまで減少してしまいます。
草食動物の増加によって生じた植生の壊滅
わずか2年で60%ものミュールジカが姿を消したのはなぜでしょうか。その理由のひとつが、草食動物の増加による植生の壊滅です。
木々の新芽やコケ、キノコなどの下層植生は、草食動物に食べられたり、山火事で焼けたりしても、一部が残っている限り時間がたてば再生します。しかし草食動物の数が環境の限度を超えた場合、大きな樹木を除いたあらゆる植物が根こそぎ食べつくされてしまうのです。
こうして下層植生が破壊されてしまうと、新たな草木は生えてきません。また、地面を支えていた植物の根がなくなることで、地盤が弱くなり、土砂崩れが発生することもあります。
・シカ被害対策|農林水産 – 東京都産業労働局
https://www.sangyo-rodo.metro.tokyo.lg.jp/nourin/ringyou/hozen/shika/
カイバブ高原でも、増えすぎたミュールジカによる食害が発生しました。自然環境の一員である高原植物をミュールジカが根こそぎ食べつくしたことで、植生は壊滅し、食べ物を失ったシカたちは次々と飢え死にしていったのです。
個体数が少なくても、環境の維持に不可欠な生物「キーストーン種」
このような被害が発生した理由として、肉食動物の駆除が挙げられます。一見、肉食動物の駆除は草食動物の保護につながるように思うかもしれませんが、そうではないのです。
ピューマやオオカミなどの個体数は、ミュールジカなどの草食動物と比べて多くはありません。しかし彼らが草食動物を捕食し、その個体数を制限し続けたことによって、植生は保たれ、自然環境は維持されていたのです。つまり、肉食動物が全体のバランスをとる役目を担っていたわけです。
このように、個体数が少ないにもかかわらず、環境に大きな影響を与える種を「キーストーン種」と呼びます。
実は、水族館の人気者であるラッコもキーストーン種のひとつです。彼らが大量のウニを捕食しなければ、さまざまな生物の住み処(か)であり、海中の二酸化炭素を吸収してくれるジャイアントケルプ(世界最大の海藻)はウニに食べつくされてしまうのです。
・ウニを食べるラッコ、CO2削減に貢献
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/6719/
このようなキーストーン種を守ることは、草食動物の個体数維持や環境保護に大きくかかわっています。
環境全体を見極めて、適切な保全活動を行うための学問「野生動物管理学」
とはいえ、自然環境は捕食者と非捕食者のバランスを調整するだけで保たれるものではありません。野生動物の分布や個体数は、人間のさまざまな行動によって増減します。
それらの影響を研究し、野生動物の分布、個体数、行動を管理することで動物と人間の共存を目指す学問が「野生動物管理学」です。
野生動物管理学の研究内容
野生動物を管理するためには、さまざまな調査を行うことでデータを収集し、研究を進めていく必要があります。野生動物管理学では、どのようなことを行っているのでしょうか。
環境と野生動物の適切な関係を導き出す「環境収容力」
草食動物の個体数は肉食動物によって調整されてきました。しかし人間によって肉食動物が駆除され、捕食者を失った山や森林では、草食動物の分布、個体数を人間が管理しなければいけません。
そこで必要となるデータのひとつが、ある環境の中で動物が生息できる限界量を示す「環境収容力」です。環境収容力は、そこに存在する食料や水量だけでなく、動物の種類、個体数によっても異なります。
野生動物管理学では動物の個体数などを調査することで、環境収容力を導き出し、環境の限界を超えた繁殖活動などを抑えるための取り組みを行っています。
野生動物の生息密度をモニタリングするための技術「糞粒法」
山や森林に生息する動物の個体数を正確に調べることは、容易ではありません。しかし、ある範囲にどれだけの生物が密集しているのかを示す「生息密度」を調査する方法はあります。
それが、地面に落ちている動物の糞を調査する「糞粒法」です。シカの糞などは、時間がたつにつれて雨や微生物によって消失します。つまり、残存している糞の量や位置を調査すれば、その地域に現在生息しているシカの生息密度を予測できます。また、糞を調査することで、動物の栄養状態や病気を把握することも可能になります。
生息密度を調査する方法としては糞粒法のほかにも、区画ごとに分けた範囲を一斉に調査し、野生動物の数を目視で確認する「区画法」や、設置したカメラで野生動物を撮影する「カメラトラップ法」など、さまざまなものが存在します。
野生動物を捕獲し、行動を制御する技術を開発する
野生動物を捕獲することで、個体識別や行動ルート、健康状態など、さまざまな情報を得られます。また、首輪型の発信器などを装着させることで、野生動物の位置を遠隔でも把握できる「ラジオテレメトリー」などの技術も存在します。
それらの中でも近年注目を集めているものが、捕獲した動物の遺伝子を採取、調査することで、種の系統や分布してきた過程を確認できる「遺伝マーカー」です。
・性染色体の遺伝解析で追う雄ジカ達の歴史 - 新開発の遺伝マーカーによって雄の種内系統とその分布形成過程を解明へ-
https://msc.tsukuba.ac.jp/news20220126/
今後、遺伝マーカーなどの技術が発展すれば、管理すべき野生動物が、これまでどのような群れと交流をしてきたか、どのような過程でそこにたどり着いたのかが判明していくことでしょう。もしかしたら、そこから画期的な害獣対策が生まれるかもしれません。
野生動物管理学の取り組みとは
さまざまな方法で動物の調査、研究を行っている野生動物管理学。実際の現場ではどのような取り組みを行っているのでしょうか。
絶滅危惧種を管理し、その回復を助ける
動物の行動などを研究する野生動物管理学は、絶滅の危機にひんしている動物の保護にも貢献します。周辺に住む天敵の数や住み処を調査することで、捕食の危機から絶滅危惧種を守れます。
また、個体数や健康状態などを継続的に調査し、回復計画を立案することも、野生動物管理学の重要なミッションといえます。
野生動物を人間の生活拠点から遠ざけるために
野生動物管理学では野生動物と人間の衝突を避けるために、さまざまな取り組みを行っています。シカやイノシシから作物を守る「防護柵」の開発、設置もそのうちのひとつです。
日本では古くから、山や森などの自然環境と農地の間に「しし垣」という垣根を作ってきました。昔の日本人は、このしし垣によって獣の侵入を防ぎ、野生動物と人間の生活圏を区切ってきたのです。
・しし垣 【町指定有形民俗文化財 ほか】 – 小豆島町
https://www.town.shodoshima.lg.jp/gyousei/kakuka/shogaigakushuka/2/1/3169.html
野生動物がしし垣を越えない理由のひとつに、住み処である山や森林に豊富な食料があったという点があります。しかし近年では人間が開拓を行ったことで、住み処や餌場を失った動物が人里に降りてくるようになりました。
これらの侵入を古いしし垣で防ぐことは困難です。そこで野生動物管理学では、シカやイノシシの習性を研究したうえで、電流の流れる防護柵など、さまざまな獣害対策の道具を開発しています。
北海道の企業が北海道大学、東京農業大学と共同研究を行って開発した「スーパーモンスターウルフ」も、現代のしし垣といえます。
<スーパーモンスターウルフが、クマ、シカ、サルを撃退>
異様な音や光を放ちながら野生動物を追い払うスーパーモンスターウルフのような製品が開発されていくことで、野生動物と人間の垣根が生まれ、新しい共存関係が構築されていくかもしれません。
捕食者を失った土地に、新たな捕食者を移住させる「オオカミの再導入」
かつて日本に存在した「ニホンオオカミ」。彼らは家畜である牛や豚を襲うことから駆除され、絶滅してしまいました。20世紀には同様の理由で、フクロオオカミなどの肉食動物が絶滅へと追い込まれています。
しかし、先述したとおり、捕食者を失った環境では草食動物が爆発的に増殖し、植生に大きな影響をもたらします。北海道でも、エゾオオカミを駆除し、絶滅に追い込んだ結果、エゾシカによる大規模な食害が発生してしまいました。
このような状況を改善するために一部の国や地域で実施されているのが、オオカミが絶滅した環境に、別の環境からオオカミを連れてくる「オオカミの再導入」です。
アメリカのイエローストーン国立公園では、狩猟により、在来のオオカミが絶滅した結果、シカの一種であるワピチが爆発的に増加しました。その結果、植生は傷つき、さまざまな生物に悪影響がもたらされました。
しかし、オオカミの再導入を行ったことで、非捕食者であるワピチの数が減り、生物多様性も回復したという報告が上がっています。
実際に日本でも、オオカミの再導入を検討している団体があります。とはいえ、この方法にはさまざまな懸念事項もあります。持ち込んだオオカミが伝染病を持っている可能性もありますし、家畜を襲うリスクも少なくありません。
オオカミの再導入による影響を中立的な視点で調査、研究することも、野生動物管理学に求められている役割のひとつといえます。
生態系サービスなくして、人類の存続はありえない
高名な物理学者であるアルベルト・アインシュタインは、生前に『ミツバチがいなければ、人類は4年で滅ぶだろう』と発言したとされています。
確かに、植物の受粉を行うミツバチがいなくなれば、多くの植物が絶滅に至ります。そうなればあらゆる動物が甚大な被害を受けるでしょう。とはいえ、そのミツバチも微生物やミミズによる土壌改良がなければ、花々から多くの蜜を得ることはできません。
このように、地球上の生物は、ほかの生物の活動によって生かされています。それこそが「生態系サービス」と呼ばれるものです。
私たち人類が今後も発展していくためには、既存の環境を保護することで、生態系サービスを維持しなければいけません。そのためには、在来種を守り、捕食者と非捕食者のバランスを整えながら人間と野生動物の共存を目指す野生動物管理学の存在が不可欠であると言えます。
「野生動物管理学」について学ぶ学部や学科
野生動物管理学は、主に全国の農学部や大学附属のセンターなどで学ぶことができます。
東京農工大学の農学部附属野生動物管理教育研究センターでは、「野生動物管理教育プログラム」を行うことで、「生態学、野生動物保全管理学、野生動物被害管理学、植生学、自然資源管理学、森林政策学、農村計画学」など、さまざまな分野の専門知識を持ち、「科学的に野生動物の生息状況や被害状況を把握することができる人材」の育成を目指しています。
・農学部附属野生動物管理教育研究センター – 東京農工大学
http://web.tuat.ac.jp/~cwmer/index.html
また、岐阜大学では岐阜県と協力し、岐阜県野生動物管理推進センターを開所しています。
・岐阜県野生動物管理推進センター
https://gifuwildlifemanage.wixsite.com/g-wimp
このセンターでは、「野生動物広域カメラモニタリング」「ニホンジカによる森林下層植生衰退状況、ツキノワグマの錯誤捕獲防止対策、ニホンザルの行動追跡、ライチョウ保護のためのニホンジカ等の高山帯への侵入状況調査等」「野生動物生息調査・解析手法のDX化の研究」などの活動を通して、人材育成や野生動物管理学の普及、啓発活動を行っています
参考文献
実践野生動物管理学 単行本 – 2021/9/18 鷲谷 いづみ (編さん)