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NASAが提唱した【宇宙生物学】。人類は本当に宇宙で暮らしていけるのか? 無重力だと繁殖できない?

地球上で繁栄を続けてきた人類。遠くない未来には、その行動圏を宇宙に拡大することが予測されています。しかし、そのときに課題となるのが「地球の生命体は宇宙で生活し、繁殖することができるのか」という点です。この問題を解決するために、近年新たに誕生した学問が、宇宙空間での動植物の行動や成長過程を研究する「宇宙生物学」です。

地球環境に適合した生物は、宇宙に進出できるのか

近代では宇宙開発も進んでおり、スペースコロニーやテラフォーミング(他の惑星を地球と同様の環境に変化すること)などの研究も加速しています。そう遠くない未来には、居住地を宇宙へと移す宇宙移民が現れることでしょう。

しかし、重力のある地球で進化してきた生物は、無重力の宇宙空間や、地球とは環境の異なる星で生活し、子孫を残していくことができるのでしょうか。

地球の生物は、重力を前提に進化してきた

植物が成長するためには、土や水、大気などが必要です。しかしもう一つ、身近すぎて忘れてしまいがちな条件があります。それが重力です。

植物が空に向かって枝を伸ばし、地面の下に根を生やすのにも重力が関係しています。植物の根冠には平衡細胞と呼ばれる部分があります。この平衡細胞が周囲の状況を把握し、重力の方向を察知することによって、植物は地面に対して垂直に成長することができるのです。

このことが示すように、地球で生まれた動植物は、地球の重力や大気を前提として生命活動を行っています。そのため、長期間にわたって地球から離れた場合、体内の血流や筋肉に悪影響が現れてしまいます。それは人類も同じです。

宇宙と生命の関係性を探るために、NASAが提唱した学問

地球を離れた人類が繁栄を遂げるためには、「無重力や宇宙線がもたらす人体への影響」などを調査する宇宙生物学(アストロバイオロジー)の存在が必要になります。

宇宙生物学が誕生したのは、1995年。当時NASA(米航空宇宙局)の長官を務めていたダニエル・ゴールディン氏によって提唱されました。

この学問では、「宇宙にはどのような生物が暮らしているのか」「生命はなぜ誕生したのか」「生命の未来はどうなるのか」といったSF的な内容に加えて、「地球上の生物が宇宙で暮らす際の弊害」などを研究しています。

宇宙生物学で行われてきた実験

これまで人類は多くの動植物を宇宙に送り込んできました。中でも1957年にスプートニク2号に乗り、地球の軌道を周回した犬のライカは有名ですが、実はそれ以前から、ハエの一種であるミバエやライ麦の種など、多くの動植物が打ち上げられてきました。

その後、宇宙ステーションによって長時間過ごせるようになり、無重力が生物の体にどのような影響を及ぼすのかという実験が始まりました。

チョウは無重力下で飛ぶことができるのか

チョウの一種であるヒメアカタテハも、実験動物として宇宙へ連れていかれた動物のひとつです。幼虫のまま宇宙ステーションに到着したヒメアカタテハは、羽化に成功し、成虫になることができました。しかし無重力状態では、地上のようには羽ばたくことができなかったのです。

<Butterflies in Space>

上記の動画では、成虫のヒメアカタテハが微少重力下で飛ぶことに挑戦しています。しかしヒメアカタテハがどれだけ羽ばたいても、地上と同様にふわふわと飛ぶことができず、壁にぶつかるばかりです。

同様に、鳥類も無重力空間では飛行することができません。このことが示すように、地球生物が宇宙に進出した場合、身体機能や行動に何らかの障害が発生するのです。

無重力空間では、体長1mmの線虫でさえやせてしまう

これまでの実験により、「無重力空間では動物の筋肉が衰えてしまう」ことが解明されています。そのため、宇宙飛行士は運動器具を用いたトレーニングを毎日2時間行うことで、筋肉の衰えを低下させています。

しかし、筋力が低下するのは人間のような体の大きい動物だけではありません。東北大学大学院 生命科学研究科の東谷篤志教授がJAXA(宇宙航空研究開発機構)と協力して行った研究によると、体長がわずか1mmしかない線虫であっても、無重力空間ではやせ細ってしまうことが報告されています。

・体長1mmの小さな生き物 線虫の筋肉も宇宙で育てるとやせ細る
https://www.jaxa.jp/press/2016/01/20160122_c_elegans_j.html

同様に、植物も細胞壁が薄くなり、柔らかくなってしまうことが確認されています。このように、地球の生物には宇宙での生存に適合していない部分があるのです。

宇宙生物学では、このような生態的変化を観測、研究することで、地球の生物と宇宙の関係や、地球外生物についての考察なども進めています。

生物が宇宙で繁殖していくために

今後、地球の生物が宇宙へ進出していくためには、無重力空間に対応、あるいは適合していく必要があります。その中でもっとも考慮しなければいけない点が、無重力下で繁殖できるかどうかです。

ニワトリの卵は、宇宙で孵化できるのか

宇宙では、動物が産んだ卵の孵化(ふか)実験も行われてきました。その過程で判明したのが「ニワトリの初期胚は、生存率が極めて低い」ということでした。

日本人宇宙飛行士の毛利衛氏が行ったこの実験では、産卵当日、7日後、10日後という3パターンの卵を宇宙に運び、正常に孵化できるかどうかのテストを行いました。

すると、「産卵当日に運んだニワトリの卵は孵化できない」という結果が出ました。一方、産卵後7日、10日経過した鶏卵であれば孵化が可能であることも確認されています。

この差を生み出した要因には、卵に対する重力が関わっていると考えられます。ニワトリの卵は、地上では産卵して間もない時期に、卵黄にある胚盤が重力によって偏り、卵殻に接触します。その結果、胚盤が卵殻に吸着し、そこから酸素やカルシウムなどを吸収することで成長していきます。

しかし無重力では卵黄が中心にとどまり、卵殻に接触しないため、産卵から間もない初期の胚は正常な成長ができなくなるのです。しかし、7日、10日経過した鶏卵では、その過程が地上で済んでいるため、孵化できたと考えられています。

そのため、初期に何らかの方法で鶏卵に荷重をかけることによって、ニワトリも宇宙で繁殖することが可能になるかもしれません。

・ニワトリの受精卵は、無重力でも正常に発生できるのだろうか(ヒヨコになるだろうか)?
https://humans-in-space.jaxa.jp/faq/detail/000740.html

日本人宇宙飛行士が実現した「宇宙メダカ」

動物の孵化実験には、日本人宇宙飛行士も挑戦しています。

日本人宇宙飛行士である向井千秋氏は、メダカの孵化だけでなく、産卵にも成功しています。これは「脊椎動物による宇宙での繁殖」が成功した初めての事例であり、今後の宇宙開発において大きな成果をもたらした実験となっています。

余談ですが、宇宙で子供を産んだメダカを地球に戻したところ、泳ぎ方を忘れてしまったのか、6時間ほど水底に沈んでいたそうです。地上と宇宙では泳ぎ方が異なり、無重力下では尾ビレを使わず、胸ビレだけで泳いでいたことが原因と考えられています。一方、宇宙で生まれた「宇宙メダカ」たちは、地球に到着してからも普通に泳ぎだしたのは不思議ですね。

・向井宇宙飛行士がメダカを宇宙に持っていった実験とは
https://iss.jaxa.jp/iss_faq/env/env_014.html

6年間にわたって宇宙線を浴び続けた精子から生まれた「宇宙マウス」

生物の繁殖に関する実験は、哺乳類でも行われています。山梨大学の発生工学研究センターでは、マウスの凍結乾燥精子を宇宙ステーションに6年保存し、宇宙線がもたらす精子への影響を研究しました。

その結果、6年間にわたって宇宙線を浴び続けた哺乳類の精子であっても、地上の精子と同様に機能することが確認されています。また、この精子によって生まれた宇宙マウスにも生殖機能に問題はなかったのです。

・人類の宇宙生殖の可能性を示す
https://www.jaxa.jp/press/2021/06/20210614-1_j.html

宇宙での実験で老化を食い止める遺伝子も発見

そのほかにも、宇宙で生活するマウスの研究は有意義なデータを残しています。東北大学大学院 医学系研究科の鈴木隆史講師、山本雅之教授はJAXAと協力し、特定の遺伝子を破壊したノックアウトマウスの宇宙滞在生存帰還実験に成功しています。

このノックアウトマウスに生じた反応を研究することで、過酷な宇宙空間によって加速する細胞の老化を食い止める遺伝子の存在が確認されました。

・宇宙マウス研究から健康長寿のヒントを発見
https://www.jaxa.jp/press/2020/09/20200909-1_j.html

宇宙生物学はこのような研究を通して、人類の宇宙進出、ならびに生命が存続する必要条件や要因などの解明を目指しています。このように、生物学や医学の宇宙に関する研究が進んでいくことで、人類の行動圏はより広がっていくことでしょう。

なお、「宇宙生物学」という言葉には、ここで触れたように「地球の生き物が宇宙で暮らしていけるか」という研究のほかに、「宇宙人はいるのか」「宇宙における生命の起源は何か?」といったSF的な研究も行われています。両方とも宇宙生物学と呼ばれていますので、間違えないように注意しましょう。

「宇宙生物学」について学べる大学の学部、学科

宇宙生物学は誕生して間もない学問です。そのため、全国の大学で研究が進んでいるわけではありません。

しかし、先述した山梨大学発生工学研究センターでは、宇宙空間で哺乳類が繁殖できるのかなどの研究を進めています。

また、東北大学 大学院医学系研究科の鈴木教郎准教授と山本雅之教授は、筑波大学とJAXAとの共同研究によって「宇宙旅行の際に腎臓が中心となって血圧や骨の厚さなどを変化させる」ことを解明しました。

・宇宙旅行によって血圧や骨の厚みが変化するしくみを解明
https://research-er.jp/articles/view/104999

宇宙生物学の研究には無重力での実験環境なども必要になりますので、この研究に携わりたいのであれば、今回記事で触れたような大学やJAXAと関係のある大学を選ぶのがよいでしょう。

『宇宙生物学』の活用が期待される分野

宇宙開発、医学

参考URL

・宇宙生物学って何? 生命の起源や未来さぐる旅へ出発
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO53406270W9A211C1000000/

・Space Pupプロジェクト:ほ乳類の精子における宇宙放射線の影響
https://www.ccn.yamanashi.ac.jp/~twakayama/LSHP/research3.html