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新幹線の開発にも貢献した【生物模倣工学】 生物多様性から生まれた研究!

私たちの身の回りにはさまざまな機械や道具があり、それぞれの用途に合わせたさまざまな形を持っています。しかし、その中には動植物の形を模倣することで、機能や効率を高めたものも存在しています。今回は、動植物の形状やメカニズムを私たちの生活に役立てるための学問である「生物模倣工学(バイオメティクス)」について紹介します。

生物の磨き抜かれた身体構造を利用する学問「生物模倣工学」

自然界は弱肉強食です。環境に適合できず、繁殖することのできなかった種は、やがて滅んでしまいます。そのため、現在も生き残っている動植物は、いずれも環境や天敵たちと戦い、勝ち抜いてきたエリートといえます。

その磨き抜かれた身体構造を利用することで、より優れた道具や技術を作り出そうという学問が、生物模倣工学(バイオミメティクス)です。

生態系によって大きく異なる生物の形態

同じ昆虫であっても、その形状は生息環境によって大きく異なります。例えば、足。ムカデやダンゴムシのように、枯れ葉の下や泥の上といった不安定な場所で生きる昆虫の場合は、安定した歩行を支えるための大量の足を持っています。

同様に地面の上を移動する昆虫であっても、バッタやノミのように、発達した後脚を使って高く遠くまで跳躍して、敵から逃れたり獲物に飛びつく昆虫もいます。その脚力はすさまじく、海外ではノミに自重の百倍以上の物体を運ばせる「ノミのサーカス」という芸能も存在しているほどです。

<Weird! Real Life Flea Circus!>

そのほかにも、水上で生活するアメンボやゲンゴロウの足には、水をはじいたり潜ったりするための細かな毛が生えていますし、空を飛んで花々を行き交うミツバチの足には、集めた花粉をしまうカゴのような部位が存在しています。

このように、生物は環境に応じてさまざまな進化を遂げてきました。それらの特化した形状や仕組みの中には、人間が作り出した既存の技術を上回るものも存在しています。それを見つけ出すことが、生物模倣工学のミッションといえます。

生物模倣工学が実社会にもたらす貢献

実は、私たちの身の回りにある道具や建物の中にも生物模倣工学が使われています。その中には、どのようなものが存在するのでしょうか

船を食い荒らす貝から生まれた掘削技術「シールド工法」

古くから船乗りや造船所を悩ませてきた生物が、「海のシロアリ」とも呼ばれるフナクイムシです。海中を漂う木材に穴をあけ、その中に永住するフナクイムシは、数多くの木造船に被害を与えてきました。

とはいえ、ただ穴をあけるだけだと、木材は内部から海水を吸い込んで膨張し、中にいるフナクイムシはつぶれてしまいます。それを避けるために、フナクイムシは穴の内側に石灰質の膜を塗り付け、自らの周りにシールドのような孔道を展開しているのです。

この構造に目を付けたのが、19世紀に活躍したイギリスの技術者、マーク・イザムバード・ブルネルです。彼はフナクイムシが作る孔道のメカニズムに注目し、その技術をトンネル工事に活用しました。

こうして誕生した掘削技術が、掘削した穴の周りを壁で覆っていく「シールド工法」です。生物模倣工学の先駆けともいえるこの技術は、誕生から200年以上たった現在でもさまざまな改良が重ねられ、世界中の工事現場で活用されています。

実際に、日本でも東京湾アクアラインなどの高速道路や、JR東西線などの鉄道トンネルなど、数多くの場所でシールド工法が使われているのです。このように、生物模倣工学は人間社会に大きな貢献をもたらしています。

<シールド工法による掘削>

鳥の構造が生み出した世界最速の新幹線

日本が世界に誇る鉄道技術。その中には、生物模倣工学を活用することで生まれた、「世界で最も早い新幹線」(当時)も存在しました。

それが、JR西日本が開発した「新幹線500系電車」です。この電車は、1997年に「隣接する2停車駅間での平均速度」と「始発駅から終着駅までの表定速度」において、ギネス世界記録を受賞しています。

しかし、500系電車が走る山陽新幹線には142ものトンネルが点在しています。そのような環境で高速に移動するためには、トンネルの突入、脱出時に発生する「トンネル微気圧波」という圧力波への対策が必須です。

そこで活用されたのが、生物模倣工学でした。大きな音や衝撃をもたらすトンネル微気圧波を軽減させるために、当時の研究者たちが注目したのが、鳥類の一種であり、美しい青色の羽根を持ったカワセミです。

空中を高速で飛び、水の中に飛び込んで魚や昆虫を捕食するカワセミのくちばしは、水が持つ強い抵抗の中を進んでいくための流線型をしています。500系電車は先頭部にカワセミのくちばしに似た形状を取り入れることで、トンネル微気圧波の影響を限りなく低減させることに成功しました。

さらに、500系電車の上部にある集電装置には、フクロウの羽のメカニズムも取り入れています。これにより、空気抵抗を減らすだけでなく、走行時の騒音を低減させる効果も得られました。

このように、生物の構造を活用することで乗り物の速度を上げる試みは、飛行機でも行われています。ハーバード大学では、海中を高速で移動するサメの肌を活用することで、航空機の空気抵抗を減らす研究に取り組んでいます。

・サメ肌を飛行機の翼に付けてみたらすごかった
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/020900062/

カタツムリの防汚性能を、キッチンやトイレに流用

木の幹や枯れ葉の下をはうカタツムリ。手足のない彼らは、自らの殻を洗うことができません。そのため、泥やゴミが付着しても洗浄できずに汚れてしまいます。

しかし、カタツムリの殻には高い防汚性能が備わっているため、汚れが張り付くことがありません。また、雨水を浴びるだけで、さまざまな汚れを洗い流すことができるのです。

例えば、油汚れ。私たちの指やスマートフォンなどに油性マジックで文字を書くと、なかなか洗い流すことはできません。しかしカタツムリの殻に文字を書いても、霧吹きで水を吹きかけ、ティッシュで軽くこするだけで、消すことができるのです。

生物模倣工学では、カタツムリの優れた防汚性能を研究することで、汚れにくいキッチンシンクやトイレの便器、外壁の開発に取り組んでいます。

蚊の針をもとに、痛みのない注射器を

夏に大量発生し、人々の体から血液を吸引していく蚊。害虫として悪名高い生物ですが、その針のように鋭い口器に注目を集めている研究者もいます。

関西大学のシステム理工学部 機械工学科 ロボット・マイクロシステム研究室では、痛みを伴わずに人体を貫く蚊の口器を研究することで、「刺しても痛くない注射器」である「マイクロニードル」の研究を行っています。

・関西大学システム理工学部 機械工学科 ロボット・マイクロシステム研究室
http://www2.itc.kansai-u.ac.jp/~t100051/r_mosquito&needle_j.html

生物模倣工学の源である生物多様性を守るために

人類はその発展の中で、多くの生物を絶滅に追い込んできました。しかし、環境に適合していたにもかかわらず、人類によって地球上から消えてしまった生物の中には、優れた形状や仕組みを持っていたものも存在していたはず。

このことからもわかるように、生物模倣工学を研究する上で欠かせないのが、生物多様性の保全です。動植物のメカニズムを研究し、既存の技術を改善させていく生物模倣工学にとって、生物多様性は研究材料が眠る源ともいえる存在です。

人にとって有害な生物の中にも、生物模倣工学のヒントが存在している

先ほど挙げたように、シールド工法のもととなったフナクイムシは、漁業や海運に関わる多くの人々を悩ませてきました。船乗りの中には、彼らの絶滅を願った人も少なくないでしょう。

しかしフナクイムシには、分解者としての側面もあります。もしも彼らが存在しなければ、陸から海に流出した木材は分解されずにゴミと化し、周囲を汚染してしまいます。

このことが示すように、「人にとって有害である」という一面だけを見て生物の価値を決めることはできません。たとえ、有害な動植物がいたとしても、短絡的に駆除するのではなく、観察や研究を進めていくことで、思わぬメリットがもたらされるかもしれません。

生物模倣工学について学ぶ学部や学科

生物模倣工学は、主に工学系の学部で研究されています。

千葉大学の生物機械工学研究室では、鳥や昆虫などの機能を研究することで「超小型羽ばたき飛行ロボット」や「次世代ドローン」、「生物翼規範型小型風車」などの開発に取り組んでいます。

・千葉大学|生物機械工学研究室
https://www.em.eng.chiba-u.jp/~liu/index.php

生物の構造や生物多様性の保全などに興味のある方は、生物模倣工学を意識して進学先を選んでみてはいかがでしょうか。

参考資料

生物の形や能力を利用する学問バイオミメティクス
篠原 現人 (著), 野村 周平 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4486020987