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子供はどうやって社会性を獲得する? 【赤ちゃんラボ】で文系、理系の大学も研究

人間は成長するにつれ変化するもの。そのような人間の心について研究するのが発達心理学です。中でも成長が著しいのが乳児や幼児。赤ちゃんは短い期間で、言葉やコミュニケーション、認知能力などを獲得していきます。いくつかの日本の大学でも「赤ちゃんラボ」という研究拠点を設置して、赤ちゃんの研究を進めています。今回は、赤ちゃんラボについて解説します。

「赤ちゃんラボ」とは? 赤ちゃんを対象とした心理学

赤ちゃんは、笑いかけるとほほ笑みを返し、話しかけると「バブー」のような言葉以前の言葉を返してきます。私たちは、そのような体験を通して赤ちゃんは成長していくということを、経験から知っています。

では、赤ちゃんにとってそれらの一つひとつの体験はどのような効果をもたらしているのでしょうか? そういう研究は発達心理学の一領域となり、特に乳児、幼児を対象にする研究は日本の大学では「赤ちゃんラボ」などの名称の拠点を設置して、研究を進めています。

19世紀のドイツに突然現れた、謎の少年カスパー・ハウザー

ところで赤ちゃんが、他人と触れ合うことなく成長したとしたら、いったいどのような人間に育つのでしょうか。「そんなことがあるわけがない」と思うのは当然ですが、実は過去に例があります。

1828年ニュールンベルグの街に、16歳の少年が現れました。彼の名前はカスパー・ハウザー。言葉もろくに話すことができず、社会性も欠落し、ロウソクの火を手で触ろうとするなど、生きるのに必要な知識も持っていなかったのです。また聴力や視力が異常に鋭く、暗闇の中でも文字が読めるほどだったといわれています。

学者たちも関心を寄せ、社会で生きるための習慣や教養を教えようと努力しました。その結果、最初のうちは明るいところや人の多いところに連れ出すだけで苦痛を訴えていた彼も、徐々に慣れ、他人と話ができたりするようになったそうです。

そして発見されるまでは、暗くて狭い地下室に閉じ込められていたなど、過去を少しずつ話し始めるようになります。また、彼の顔がある貴族に似ていたことから「実は高貴な身分であり、何らかの事情で地下室に閉じ込められたまま成長したのではないか」など、いろいろな噂(うわさ)も囁(ささや)かれました。

しかし発見されてから5年後の1833年、カスパー・ハウザーは何者かに暗殺され、彼が何者かは謎のまま、現在に至ります。

<正体不明の少年、カスパーハウザー!>

カスパー・ハウザーは、生後間もないころから人と接することで自然に身に付く能力を獲得する機会を奪われたものといえるでしょう。

彼のように幼少時から社会から隔絶され、愛情を注がれることもなく、他者との触れ合いも少ない状態で成長し、言葉の習得、社会性の獲得、人格形成などに影響するようなケースを「カスパー・ハウザー症候群」と呼んでいます。今でいえば「ネグレクト」に含まれるのでしょう。

赤ちゃんを対象にした、「赤ちゃんラボ」での研究

赤ちゃんが大人になる過程の研究は、人間とは何かという問いかけでもあります。どのようにしてコミュニケーション能力、認知能力、社会性、運動能力を獲得して、社会を構成する人間へと成長していくのか。そのスタート地点の研究が、赤ちゃんの研究です。

デジタルの活用で研究が、より科学的に

慶應義塾大学では「赤ちゃんラボ」を設置し、赤ちゃん研究員(研究に協力してくれる赤ちゃんと保護者)を対象に次のような調査、研究を行っています。

慶應義塾大学「赤ちゃんラボ」 調査内容

調査 内容
発達検査 おもちゃを使って発達の度合いを調査
脳機能調査 言葉や音、画像に触れたときの脳の活動を調査
アイカメラ調査 赤ちゃんの目線を追い、何を見ているのかを調査
選好注視調査 写真や絵を見る時間などを調べて、赤ちゃんの好みを調査
行動観察調査 赤ちゃんの行動を調査
療育介入研究 コミュニケーションの発達を促す研究

ICTが発達した現在では、科学的なアプローチで赤ちゃんを対象にした研究が可能となっています。脳機能調査やアイカメラ調査は、特にICTを活用している研究といえます。脳機能調査では、脳波を調べる脳波計、光を使って脳の活動を画像化する光トポグラフィ(NIRS)などを使います。アイカメラは、人間の目の動きを追いかけて、赤ちゃんがどれくらいの時間、何を見ているかなどを調べます。

赤ちゃんは、言葉を使って、気持ちを伝えたり感じていることを表現したりはできないので、このようなデジタル機器を駆使することで、より科学的に調査できるようになっています。

慶應義塾大学 赤ちゃんラボ
https://web.flet.keio.ac.jp/~minagawa/babylab/

言語能力を獲得する前の赤ちゃんの心理を探る

九州大学(教育学部・大学院人間環境学研究院 発達心理学第一研究室)でも、赤ちゃん研究員の協力を得て研究を進めています。

例えば、大人が赤ちゃんを見つめるという行為に関する実験。赤ちゃんとの間に、ひもを引いたときだけ透明になる特殊なガラスを挟み、ガラスの向こうには女性を置きます。いろいろなパターンの実験をしたところ、女性がガラス越しに赤ちゃんを見つめているときだけ、赤ちゃんがひもを引く回数が増えたそうです。このことから、赤ちゃんは見つめられるのが好きということがわかります。

私たちは、目が合うと赤ちゃんは喜ぶということを経験則から知っていますが、よくよく考えてみると、目が合ったからといってミルクをもらえたり歌ってもらえたりするわけでもありません。ではなぜ、目が合うと喜ぶのでしょうか。

研究している橋彌和秀氏のインタビュー記事にはそれらの成果が紹介されているので、興味のある方はぜひ読んでみてください。

九州大学 橋彌和秀氏のインタビュー記事:乳幼児期のコミュニケーション発達研究
https://245937bc-0ce9-45e7-8ff8-88d5929c8b1c.filesusr.com/ugd/ae4e34_74cecf9f03ff469e8033c3bc1be81246.pdf

少子化の時代の子育てにも役立つ

かつての日本は、二世帯家族、三世帯家族も珍しくはなく、子育ては両親だけではなく、祖父母も協力してくれていました。また、各家庭の子供の数も多かったため、育てるためのノウハウも蓄積できました。

しかし、少子化、核家族化が進んだ結果、子供の数も減り、子育ては両親だけ、あるいはシングルマザー、シングルファーザーのように一人で面倒を見ている家庭もあります。子供の数も少ないことから、親としての経験を積む機会も減ってきています。

誰もが悩んだり、誰かに相談に乗ってもらったりしながら、子育てに臨んでいるわけです。赤ちゃんラボの研究は、そのような経験の少ない子育て世代にとって、役立つものになるでしょう。

ちなみに東京大学の赤ちゃんラボが監修したテレビ番組も作られており、YouTubeでも公開しています。

<テレビ東京x東大赤ちゃんラボ │ 赤ちゃんが喜ぶ知育の動画>

「赤ちゃんラボ」を設置している大学の学部、学科

赤ちゃんの成長に関する研究は、発達心理学などを扱う人文系の学部、教員を育てる教育学部などで学ぶことになります。また医学、情報科学など、理系サイドから研究している大学もあります。

文学部、教育学部

前述の慶應義塾大学は文学部 心理学専攻、九州大学は教育学部が関わっています。山形大学では、地域教育文化学部に「赤ちゃん研究室」を設けています。ここは教育学部という名前ではありませんが、教員育成系の学部です。

九州大学 赤ちゃん研究員
https://www.babykyushu.org/

山形大学 赤ちゃん研究室
http://baby.apples.jp/

工学部など理系でも研究

玉川大学 赤ちゃんラボは、脳科学研究所に開設されたものなので、理系になります。
東京大学の国際高等研究所 ニューロインテリジェンス国際研究機構(IRCN)が、「IRCN BABYLAB」(赤ちゃんラボ)を設置しています。ニューロインテリジェンスとは「生命科学、医学、社会、数理、情報科学を融合した新分野」であり、IRCNは「神経の動作原理に基づく革新的な人工知能(AI)の開発」を目指すものとしています。その一環として赤ちゃんの研究に取り組んでいます。

同志社大学では、「赤ちゃん学研究センター」を設置しています。赤ちゃん学とは「小児科学、発達心理学、発達神経学、脳科学、教育学、保育学、物理学、ロボット工学、倫理学など多様な視点から、人間の起点である赤ちゃんを研究する異分野融合型の新しい学問領域」と定義しており、文系、理系をまたがる幅広い研究といえます。

玉川大学 赤ちゃんラボ
https://www.tamagawa.ac.jp/brain/baby/index.html

東京大学 IRCN BABYLAB(赤ちゃんラボ)
https://babylab.ircn.jp/

同志社大学 赤ちゃん学研究センター
https://akachan.doshisha.ac.jp/

『赤ちゃんラボ』の活用が期待できる分野

子育て、幼児教育、福祉、ベビーテック、カウンセリング、児童文学や子供向けコンテンツ