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生命が持つ力を技術に応用する【バイオテクノロジー】 世界が注目する大学発ベンチャーにも期待

「iPS細胞(人工多能性幹細胞)」を発明した山中伸弥氏は、2012年ノーベル医学・生理学賞を受賞しました。iPS細胞は、失われた臓器、人体機能を回復する「再生医療」など、医療に新しい道を切り開くものとして大きな期待がかかっています。今回は、ネクストGAFA(Google、Facebook、Apple、Amazonの巨大IT企業)とも期待されている『バイオテクノロジー(バイオ)』の概要、応用される領域について解説します。

『バイオテクノロジー』は、生命の不思議から役立つ技術を見つけ出す研究

バイオテクノロジー(生物工学)とは生物学(バイオロジー)と技術(テクノロジー)を組み合わせた造語です。これは、遺伝子や細胞、あるいは生命活動に関わる物質などを研究し、その成果を医療や創薬、農業や畜産、食品、エネルギーなどさまざまな分野に応用する研究です。

最先端でありながら、人類に匹敵する歴史を持つバイオ

バイオは20世紀後半になってから急速に進んだ技術ですが、古くからおこなわれてきた穀物や野菜、果物などの品種改良、発酵食品である味噌や醤油などの製造も、バイオの領域に含まれます。

そのためバイオは、人類の歴史に匹敵する長い成り立ちを持っているともいえます。しかしそれら古くからのバイオは、さまざまな試行錯誤の繰り返し、あるいは偶然から生まれたたまものでした。

遺伝子研究により大きく発展した「ニューバイオ」

近年になってよく耳にするバイオは、それら旧来のものとは大きく異なり、細胞やDNA(遺伝子の材料となるデオキシリボ核酸)、ゲノム(全遺伝情報)などに関する科学知識をベースにした研究です。遺伝子を組み替えたり書き換えたり、あるいはiPS細胞のような新しい技術を発明するなど、著しい発展を遂げています。これらの新しいバイオは、旧来のものと区別するため「ニューバイオ」とも呼ばれることもあります。

医療、創薬でのバイオの取り組み

すべての遺伝子情報を解析するゲノムの研究や、人間の手によって遺伝子の配列を書き換えるゲノム編集が可能になり、バイオに関する研究が急速に進みました。その結果、バイオはさまざまな分野での応用が期待されるようになりました。特に注目される分野には、医療や創薬が挙げられます。

一人ひとりの遺伝子に合わせて個別の治療を施す「テーラーメード医療」

一般的に、病気ごとにいくつか治療方法が考えられており、従来は症状や検査結果から適していると判断される治療を施されることがほとんどでした。しかし人間の体は一人ひとり異なります。薬ひとつとっても、「ある人にはよく効くが、別の人には副作用が生じる」というケースもあります。

それを解決しようというアプローチのひとつが、テーラーメード医療(個別化医療、オーダーメード医療)です。これは、一人ひとり異なるゲノムを調べ、そのデータを元に効果の期待される治療、薬を提供しようという新しい医療です。

AIやスパコンを使って開発期間を大きく短縮できる「IT創薬」

薬に応用できそうな物質は膨大にあります。新しい薬を作り出す研究は、膨大な候補から、人間の体に作用する物質を見つけ出すところから始まります。そして動物実験、人間の体を使った治験を含む、数十年単位の長い開発期間を経て、私たちが利用できる薬が誕生します。

しかしゲノム研究や人工知能(AI)、スーパーコンピューターなどの技術が進んだ現在、病気に関連するDNAの配列や特定のタンパク質を特定し、それに作用する物質を見つけ出して薬を開発する手法が広がってきました。このIT創薬により、薬の開発期間の大幅な短縮、副作用が少なく効能の高い薬の開発が期待されています。

パンデミック発生時の大量生産に期待がかかる「DNAワクチン」

従来のワクチンは、鶏卵を使用して大量生産していました。そのため、計画を変更して急に大量のワクチンを製造するような事態への対応が難しいなどの課題もありました。

DNAワクチンは、ウイルスのDNA情報を使う、新しいタイプのワクチンで、合成が容易、つまり大量生産に向いているという利点があります。そのためパンデミック(世界的な病気の大流行)などが発生した場合にも、迅速に大量のワクチンを用意できるのではないかという、大きな期待のもと各国で研究が進められています。

日本でもベンチャー企業であるアンジェスが、新型コロナウイルス感染症向けのDNAワクチンを、大阪大学などと共同で研究を進めています。

失われた人体の機能を復元する「再生医療」

病気やケガなどで、肉体の一部、あるいは機能が失われることがあります。従来は臓器移植などで失われた機能の回復を目指してきました。しかし他人の臓器を別の人間に移植することは、拒絶反応を起こす可能性などのリスクも伴います。

再生医療とは、自分の体の細胞などを培養することで臓器を作り、失われた体の機能を回復しようという新しい医療であり、大きな期待が寄せられています。

病気の遺伝子そのものに対して治療を施す「遺伝子治療」

病気の中にはDNAが関連するものがあります。そこで「ある遺伝子の欠損によって生じる病気には欠けている遺伝子を補う」「異常な遺伝子による病気にはその働きを抑制する」といった治療を施すのが遺伝子治療です。

農業や環境、エネルギーなど、さまざまな分野で活躍

医療や創薬以外でも、さまざまな分野でバイオの技術が活用され、研究も進んでいます。

<高校生のための東京大学 模擬講義「生命の設計図を書き換えるゲノム編集」>

人口爆発による食糧不足に備える「食糧増産」

地球規模では人口が急増しており、将来は食糧問題が大きな課題となるという指摘もあります。人口増に対応するには食糧生産の強化が求められます。そのためには、病気や害虫に強い農作物を作るためのゲノム編集による品種改良が注目されています。

汚染物質を浄化して自然に還す「自然環境保護」

私たちの生活から排出される汚水の処理も微生物の力で分解されています。そのようにして人間が生み出す汚染を減らして自然に還すことで、環境汚染を少なくしているわけです。

しかし、環境保護のためにやるべきことはたくさんあります。例えば、石油や薬品、重金属などで汚染された土壌や地下水を、微生物の力などを使って浄化するバイオレメディエーション。あるいは、分解されにくいプラスチック類の代わりに、自然に還るプラスチックや植物由来のビニールなどの増産。このようにバイオの力で汚染を減らし、自然に優しい物質を増やしていけば、自然環境保護にも役立ちます。

環境にやさしい燃料「バイオエネルギー」

いずれは枯渇する有限資源である石油。その代替として研究開発されているのが、「バイオ燃料」です。トウモロコシやサトウキビなどの穀物を原料とするバイオマスアルコールには、石油代替だけでなく、カーボンニュートラル(※)という利点もあります。穀物以外に、藻や菌などを使ったバイオ燃料も研究が進められています。

カーボンニュートラル 新たな二酸化炭素(CO2)を作り出さないこと。植物由来の燃料を使用するため排出される二酸化炭素と吸収される二酸化炭素の量が同じという意味です。

薬だけじゃない。毎日の食事から作る健康

「特定保健用食品(トクホ)」や「機能性表示食品」のように、食事として体に吸収することで、体調調整に効果があるとされる食品の開発にもバイオテクノロジーが活用されています。日本の農研機構では、血圧を調整する機能を持つ血圧抑制米、花粉症の症状を抑えるスギ花粉米などが研究されています。

「スマートセルインダストリー」という未来への道

スマートセルとは、ゲノム技術を用いて人工的に作られた、特別な機能を持った細胞のこと。細胞というと生き物をイメージすると思いますが、スマートセルはモノづくりのための細胞、何らかの物質を作るための機械、工場のような細胞と考えるほうがいいでしょう。

実際、生物が作り出す物質には、驚くべき特徴を持っているものがあります。例えば、クモの糸は、重さを基準に考えると鉄よりも頑丈です。クモの糸で作れば、鉄よりも軽くて丈夫、かつ柔らかい新しい素材を作ることもできるわけです。

慶應義塾大学発のベンチャーとして誕生したSpiberは、人工的なクモの糸の開発、製造に世界で初めて成功し、事業として展開しています。またベンチャー企業としても有名なユーグレナではミドリムシ(学名 ユーグレナ)を使って、サプリメント、化粧品、バイオ燃料などの研究に取り組んでいます。

そのように生物が持つ特長を生かしたスマートセルを活用すれば、石油や石炭に変わるバイオ燃料、さまざまな特徴を持つ新しい素材、病気に感染しにくい作物などの開発も期待されます。このスマートセルを利用した産業は、スマートセルインダストリーと呼ばれ、経済産業省も政策のひとつとして進めています。

『バイオテクノロジー』が学べる大学や学部

バイオテクノロジーを扱う学部としては主に医学部や農学部、理学部、薬学部などが挙げられ、学科としてはバイオサイエンス学科、生命科学科、分子生命学科、薬学科などさまざまな学科で扱われます。

バイオを得意とする日本の大学といえば、iPS細胞を発明した山中伸弥氏が所長を務める京都大学 iPS細胞研究所を生んだ京都大学が有名です。また、バイオに特化した専門の大学としては2003年に設置された長浜バイオ大学もあります。

『バイオテクノロジー』が必要とされる分野


医療、創薬、農業、畜産業、水産業、製造業、食糧問題、エネルギー問題、自然環境問題など

参考

農研機構
「食と農の未来を提案するバイオテクノロジー」
http://www.naro.affrc.go.jp/laboratory/nias/gmo/communication/tool.html

経済産業省
スマートセルインダストリーが拓く未来の社会像
https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/shomu_ryutsu/bio/pdf/006_02_00.pdf