現在、さまざまな病気の診断や治療の中心となっているのは近代西洋医学です。しかし、診断や治療の方法はそれだけではありません。例えば、精神科、心療内科などが扱っている病気や症状では、芸術に関わる表現活動も診断や治療に役立っています。そうした表現活動は「芸術療法」と呼ばれ、最近では認知症の症状改善にもつながると注目されています。今回は、「芸術療法」の基本を説明します。
芸術療法は、表現活動を通して行う心理療法の一つ
絵を描いたり、楽器を演奏したり、粘土をこねてみたり――。何らかの表現活動によって、感情が動いた経験は誰でもあるのではないでしょうか? 芸術療法とは、そうした表現活動による感情の動きなどを、病気の診断や治療に役立てる心理療法※の一つです。
この療法では、表現活動によって言葉にしづらい気持ちを表したり、閉ざしていた心を解放したりすることで、心の病気の治療などにつなげていきます。また、表現活動を通じて得られる心の「癒やし」自体が、芸術療法の目的になる場合もあります。
※心理療法:医師など専門家との対話を通して、患者やクライエント(相談者)が困っていることや悩んでいることを解決したり、自ら気づいたりする治療の方法を指します。
芸術療法の対象となる主な病気や症状
芸術療法は、主に精神科や心療内科で治療するさまざまな心の病気や症状、例えばうつ病や統合失調症、心身症などの患者やクラエントに対して行われます。
また、大きな事件や災害などに遭ってPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症した人に対しても、症状緩和のために芸術療法を行う場合があります。
さらに、最近注目されているのが認知症に対する効果です。絵を描くなどの表現活動によって脳を活性化し、精神を安定させることで、徘徊(はいかい)や不安といった認知症の症状を軽減、あるいは予防できるのではないかと期待されています。
芸術療法を行うのは医師や専門家
患者やクライエントに対して芸術療法を行うのは、精神科・心療内科の医師と知識を持った専門家です。
ここでいう専門家とは、具体的には臨床心理士(臨床心理学に基づいて人の心の問題に向き合う仕事)や作業療法士(心身に障害がある人に、心と体の両面からリハビリテーションを行う仕事)、メンタルカウンセラーなどのほか、芸術療法士や音楽療法士、認定描画療法士といった芸術療法に関わる民間の専門資格の取得者を指します。
芸術療法の歴史
芸術療法には約80年の歴史があります。1942年のイギリスで、結核にかかっていたイギリス人の芸術家エイドリアン・ヒルが、絵を描くことで回復したことが、芸術療法(英語ではアート・セラピー)の始まりだと言われています。
1960年代になると、イギリスやアメリカで相次いで芸術療法学会が設立され、チーム医療の一環として、芸術療法が積極的に取り入れられるようになりました。また日本でも、1969年には民間団体の日本芸術療法学会が設立されました。つまり、日本の芸術療法もすでに50年以上の歴史があるということです。
ただ、大学院で専門的に芸術療法を学ぶカリキュラムが充実していて、芸術療法の国家資格もあるイギリスなどに比べると、日本の芸術療法はまだ立ち遅れているという評価もあります。
多様な種類がある芸術療法
ひと口に「芸術療法」といっても、さまざまな種類があります。どの方法を用いるのかは、医師や専門家の考え方や得意な手法、また療法を受ける患者やクライエントの状況などによって変わってきます。
ここでは、代表的な芸術療法を簡単に紹介します。
- 絵画療法
自由に絵を描いてもらい、そこから言葉では表現できない内面的な問題などを読み取る。絵を描くことで、緊張やストレスを緩和する効果も期待される。 - 音楽療法
「能動的」と「受動的」な方法があり、前者は歌ったり楽器を演奏したりすることで自己を表現する。一方後者は、音楽を聴いてストレス緩和などを図る。 - 心理劇
即興劇を取り入れた集団心理療法。設定された場面に基づいて自由に演技をしたり、配役を入れ替えたりして、感想を語り合うことでさまざまな気づきにつなげる。 - 箱庭療法
砂の入った箱の中に人や建物といったミニチュアを配置して、何かを表現したり遊んだりしてもらい、言葉にできない葛藤やイメージを伝える。 - 舞踏療法
音楽に合わせてダンスを踊って、言葉にできない気持ちなどを表現する。 - 詩歌療法
詩を書いたり読んだりすることで感情を解き放ち、精神の安定につなげる。 - コラージュ療法
パンフレットや雑誌などの紙類をコラージュ(切り貼り)して作品を作ってもらい、そこから言葉では表しにくい内面的な気持ちなどを読み取る。
いずれの場合も、作品としての出来不出来は重要ではなく、作品づくりを通して内面を表現することが重要となります。なお、芸術療法の区分についてはさまざまな考え方があり、音楽療法や箱庭療法を、芸術療法とは切り離して独立した療法として扱う場合もあります。
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医療の中での「芸術療法」の位置づけ
現在、医療の主流になっている近代西洋医学では、心身の悪い部分(患部)を特定して、投薬や手術などの方法でその患部を直接治療していきます。それに対して芸術療法は、ここまで見てきたとおり、「悪いところを直接直す」というよりは、表現活動を通して患者やクライエントが抱えている問題の本質を探り、よりよい治療に結び付けていこうというものです。
両者の関係をどのようにとらえればよいでしょうか。近代西洋医学と芸術療法は、相反するものでしょうか?
その答えとなるのが、「統合医療」という考え方です。統合医療とは、一言でいうと近代西洋医学と、補完・代替療法や伝統医学を組み合わせて行う医療を指します。組み合わせることで、それぞれのメリットを生かした治療が可能になり、結果としてより質の高い医療を提供できるというもので、10年ほど前から注目されるようになっています。
芸術療法もこの補完・代替療法の一つで、近代西洋医学を補完する存在として、今後医療においてますます重要度が増していくことが考えられます。
参考)日本統合医療学会 統合医療とは
http://imj.or.jp/general/intro
医療としての「芸術療法」の課題
現代の医療では、エビデンス(根拠)がとても重視されます。つまり、ある治療法が特定の病気・症状に対してどの程度効果があるかを示す科学的根拠や検証結果が常に求められるということです。
一方、芸術療法では、芸術療法を行う側や個々の患者によって、結果が大きく変わることも多く、エビデンスを提示することは簡単ではありません。医療として芸術療法をとらえた場合、エビデンスをどう計測していくかが今後の課題の一つと言えるでしょう。
「芸術療法」を学べる大学の学部、学科
芸術療法について大学で学びたいという場合、心理学部や心理学科が一つの選択肢になります。すべての心理学部・心理学科で芸術療法を学べるとは限りませんが、科目として設けていたり、芸術療法に関わるゼミが設置されている場合などがあります。
また、美術大学では芸術療法の中の「絵画療法」について、音楽大学では「音楽療法」について学べる可能性があります。
心理学部・心理学科で「芸術療法」を学べるゼミの例
ゼミ(演習)であれば、教員の指導のもと、芸術療法について専門的に学び、学部レベルでの研究を行うことが可能です。
・(ゼミ)東洋英和女子大学 人間科学部人間科学科
「臨床心理学における芸術療法 こころに向き合うための臨床心理学的視点」
https://www.toyoeiwa.ac.jp/daigaku/department/ningenkagakuka/seminar/nk_rinshoshinri_zemi2011_04.html
芸術療法の中でも、特に絵画療法をテーマにしたゼミです。
・(ゼミ)広島修道大学 健康科学部心理学科:児玉演習クラス
https://www.shudo-u.ac.jp/academics/health/psychologyseminar.html
心理療法場面で用いられる代用的な援助方法のうち、言語面接のほか、芸術療法や表現療法などについても学べるゼミです。
「音楽療法」を学べる大学の例
一部の音楽大学では、芸術療法の中の「音楽療法」を学ぶための専攻やコースを用意していて、「音楽療法士」という民間の資格取得を目指すことが可能です。
・国立音楽大学 音楽学部 音楽文化教育学科 音楽療法専修
https://www.kunitachi.ac.jp/undergraduate/college/cul_edu/therapy.html
・東邦音楽大学 音楽学部音楽学科 音楽療法専攻
https://www.toho-music.ac.jp/college/course/faculty/therapy/